学びを証明する為にも現場に立ち続ける以外ない

2022/03/07

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今回の内容は2021年10月31日に配信した内容となります。
 



おはようございます、ミナミです。


今日で10月も終わりということで、今日は昨日までとはちょっと違った話題を。上の画像、これを見てピンと来る人がど
れくらいいるかな。


昨日僕がインスタの方で投稿した内容を要約すると「講師ばっかりやってるんだけど、やっぱ学んだことは自分が現場に立って照明しないといけない」みたいな内容だったんですね。


で、僕がそう思ったキッカケになったのが上の絵なんですね。


ヴェサリウス、ご存知でしょうか。「近代医学の出発点」と言われる人。解剖学の歴史を知るのは何の役に立つかは分かんないけど、シンプルに面白いから時間のある方は是非触れてみると良いと思う。


古代の解剖学を語るときに忘れちゃいけない人って何人かいて、それがヒポクラテスだったり、あとはガレノスだったり。


で、さっきのヴェサリウスが出版した本が「ファブリカ」っていう歴史的には超大著で、当時のルネサンス期に解剖学を最先端の科学に押し上げた本ってことになってるそうです。


そのファブリカの扉絵になってるのが、上記のやつです。これ、僕にも影響を与えた象徴的な意味が込められていて、それを皆さんにもご紹介しますね。


絵の中央にヴェサリウス本人がいるんですけど、見える?解剖体の左側に立って説明してる人がそれ。


見ると「この人が解剖学者なのね」って分かるじゃない。でもその前の時代ってこれが当たり前じゃなかったんだって。


どういうことかと言うと、メスで切開する人を「執刀者」といったそうで、じゃあ解剖学者は何をやっていたかっていうと、高い椅子から本を読む人だったと。


さっきのガレノスの本を「胸の中にこんな臓器がー」みたいなことを読み上げる人。は?って感じじゃん。


で、ファブリカの絵にかいてあるヴェサリウスは自分で解剖して解説までする。ガイコツの隣で本を読んでる人が「目の前の人体に眼もくれず本を読む解剖学者」を象徴。


要するに、こうなっちゃいけないなって思うわけ。講師として登壇する機会は益々増えるけど、かと言ってふんぞり返るつもりは毛頭ないし、後から追いかけてくる人に追いつかせるつもりもない。


誰よりも勉強はする、それを証明するために現場に立ち続ける以外に道は無いと、この絵から思わされるわけです。


ってゆう、そんな話で10月の最後を締めくくろうと思います。皆さん11月もよろしくお願いします!


ミナミ